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デマンドレスポンス

デマンドレスポンス(Demand Response)とは、電力供給システムにおいて、従来は需要に合わせて供給量を変動させることで電力の需要と供給を一致させていたのに対し、需要側が需要量を変動させて需要と供給を一致させることをいいます。
電力需要は季節や時間によって大きく変動します。需要が増加した場合、供給側に予備の発電所などによる余力があれば、供給を増やして対応しますが、余裕が無い場合、需要側が需要を減らして対応するというやりかたです。消費抑制のデマンド=要求に対して、レスポンス=応答するということです。日本では原発の停止による供給量の低下や太陽光発電などの再エネの不安定性によって、供給側の対応能力が低下している事情によって、注目されている方式です。

このデマンドレスポンスの一つに、ネガワット( negawatt power)というのがあります。
ネガワットは負の消費電力を意味する造語で、企業や家庭などの需要家の節約により余剰となった電力を、発電したことと同等にみなして、需要家に節電分に対して報酬金を支払う仕組みです。
ネガワットのネガは否定の意味で、メガワットすなわち1000キロワットが事業用太陽光発電の一つの基準となっているのをもじっているようで、デマンドレスポンスのように味も素っ気も無い記号的な造語が多い昨今では、珍しくユーモアのある言葉かも。

ネガワットは送配電事業者や小売電気事業者などの電力会社と、企業や家庭などの需要家との間で取引されます。電力会社と契約した需要家は、需要抑制の要求(デマンド)を受けると、所有する電気機器の運転を止めたり、設定を変更して消費電力を抑えます。(レスポンス)
契約で決めた分を節電できれば報酬を受け取ります。報酬は節電できる能力に対して支払われる基本報酬と、実際に節電した量に対して支払われる従量報酬に分けられます。

ネガワットは電力会社と需要家間で契約されるのが基本ですが、アグリゲーター(aggregator)と呼ばれる仲介者が、その間に入ることが想定されています。
aggregateは集めるとか総計いくらになるという意味で、アグリゲーターは集める人ということです。アグリゲーターはネガワットを集める事業者で、 複数の企業や家庭を集め束ねて、効率よく大きなネガワットを生み出すのが目的です。アグリゲーターが企業や家庭の需要家と個別に契約し、それをまとめて全体でどれだけのネガワットが出来るかを計算して、電力事業者と契約します。

実際に電力事業者から需要抑制指令を受け取ると、アグリゲーターはどの需要家が、どれだけ節電できるかを判断し、最適な組み合わせを計算し、各需要家に需要抑制指令を出します。実際に節電できた顧客に報酬を支払い、また電力事業者からは報酬を受け取ります。、
取引される電力は、指令を受けてから節電を実施するまでの反応時間と、需要を抑制し続ける持続時間、そして周波数調整の有無があらかじめ契約によって決められています。反応時間が短く、持続時間が長く、周波数調整があるほうが取引価格が高くなります。

アグリゲーターには、どんな事業者が名乗りを上げているのでしょうか?
大阪ガスは関西電力とデマンドレスポンス契約をしました。大阪ガスは自社のコジェネレーション発電装置を所有しています。関西電力から需要抑制を受けると、この発電装置を運転して発電したり、電気とガスの空調を併用しているところは、ガスだけで空調を運転したりして、ネガワット取引を実行します。また顧客の需要家に加えて、自社の工場、研究所などに節電を指令します。自社の施設がアグリゲーターの顧客でもあるわけです。
自社施設を加えることでネガワットの規模を大きくでき、また自社施設は顧客需要家にくらべて自由度が高く節電しやすいというメリットがあります。

太陽電池大手の京セラは、自社の太陽電池そして蓄電池を購入した家庭とネガワット取引を行い、電力会社の需要抑制指令に対応します。太陽光発電は、FIT(固定価格買取制度)による買取価格の低下により、家庭用は自家消費が中心になっていくと想定されますが、家庭での電力消費は、発電が出来ない時間帯が中心で、自家消費のネックとなります。その対策として蓄電池需要が増えていて、この太陽光発電と蓄電池の組み合わせによってデマンドレスポンスに答えようというものです。
顧客家庭がネガワット取引に参加して、報酬を受け取ることが出来れば、京セラにとっては顧客サービスに貢献したことになります。またネットワ-クでつなぐことによって顧客の機器の稼働状況をモニターして、メインテナンスを行うことが出来、自社製品の優位性につながります。

ということで、日本の電力供給が低位に進行する中、デマンドレスポンスやネガワットが、需給や価格の安定に貢献できるのか注目されるところですが、まだ始まったばかり。詳細な制度設計もこれからで、上手く機能するかどうかは今後の展開次第というところです。


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車の電動化は止まらない?

車の電動化の動きが、ここにきて急加速している様です。
1年前に「車は電動化する?」というタイトルで書いたので、一部を再アップします。

自動車の未来はどうなるのか、混沌としています。
様々な種類の自動車が世に出てきますが、この先どれが主流になるのか分かりません。
ハイブリッド車(HV)が燃費向上の限界に近付き、ディーゼル車が躓き、また燃料電池車(FCV)が車自体の高コストや水素ステーションなどのインフラ整備の遅れによって足踏みする中、電気自動車(EV)とプラグインハイブリッド車(PHV)が、このところ注目銘柄のようです。
エネルギー事情や政府の政策、メーカーの事情や戦略によって、どこに落ち着くか分からない最近の「猫の目車事情」ですから、この先どうなるかは誰にも分からないのですが...
メーカーは自車の優位を狙って激しい競争を繰り広げているといえば、聞こえはよいけれど、見方によっては右往左往ともいえます。
現在の注目銘柄が何でEVとPHVなのかというと、どちらも単純に、走行中に二酸化炭素(CO2)排出量が少ない、もしくは出さないということと、構造が比較的単純で、新規参入が容易だということでしょうか。
EVは蓄電池に貯めた電気を使うので、走行中のCO2排出量はゼロです。
PHVは通常のHVよりも搭載する蓄電池を多くし、電気モーターで通常走行し、長距離走行や蓄電池電力が不足したときに内燃機関で走行します。
したがって走行全体で見ても排出量は少なくなります。
つまり本来のHVが内燃機関を主体として、モーターはその補助役であり、また回生エネルギーのように、ともかくもあらゆる所から、内燃機関の駆動に伴うロスエネルギーを集めて電気に変えるという複雑なシステムを有しているのに対して、PHVはそれらを簡素化、あるいは省略されます。
ということでPHVの位置付けは、HVよりもEV寄りになります。
そんな理由からでしょうか、EVとPHVへの参入が増えています。ディーゼルでミソをつけた欧州のメーカーがPHVを、そして米テスラモーターズがEVを発売して注目されています。
テスラが2016年3月に発表した新型「モデル3」は、従来のモデルより安い、といっても約400万円の価格ですが、発売1週間で30万台を超えました。これは日産自動車のEV「リーフ」が、発売から5年かけて20万台を販売したのに比べると大変な数字です。』

それから1年経った現在、EVへの傾斜が顕著です。
フランス、イギリスが2040年までに、化石燃料車の販売を禁止すると決めたのに続いて、中国も追随するようです。もっとも完全な化石燃料排除ではなく、PHVとHVは除外されるようですが...
この1年でEVが抜きん出るような技術革新が起こったわけではありません。
また石油の情勢に大きな変化が起こったわけでもありません。なのに何で?
どうやら社会的、政治的情勢の変化によるようです。

もともと都市の大気汚染が深刻なのは、中国やインドなどモータリゼーションが急な国に限られたわけではありません。公共交通が効率的に整備された日本のような国と違って、英仏やそして米国など先進国の都市の大気汚染も無視できない状態になっているようです。
公共輸送の未整備や職住間の距離、物資輸送の非効率性などによって、大量の車の乗り入れと、それによる渋滞などが重なって大気汚染が起こるわけです。

その手っ取り早い解決策として、走行中は大気汚染をもたらさないEVが最適というわけです。
奇しくもこれらの国では、自動車産業はドイツや日本に比べて競争力を欠いています。
穿った見方をすれば、化石燃料車から一気にEVに飛び移ってしまえばという思惑が働いている?
政治の影も見え隠れします。米国のテスラの様に新規参入して、一気にトップになれるかも!
ということで、どこかが口火を切れば、バスに乗り遅れるなとばかりに、一斉にEV化の流れです。

中国やインドでは傘下に収めた欧州メーカーが、早々とEV化を宣言するような動きもあります。
ドイツはディーゼル車で失態をさらし、日本はお得意のHVの消燃費がほぼ限界に達し、ともにPHVに活路を見出そうかというところでしたが、こんな世界の社会的、特に政治的情勢には抗し得ない?
特にドイツVWなどは、中国市場に過剰に依存しているので、政府の意向には逆らえないし...

いうまでも無く、都市の大気汚染はPM2.5などに代表される、直接的で地域的な汚染であるのに対して、間接的ながら地球規模の大気汚染、すなわち温暖化ガス排出とは無関係です。
EVは走行中に汚染物質を出さないというだけで、使用する電力は商用電力によって充電されたもの。その商用電力が石炭火力などによる、温暖化ガスを大量排出する電力だとすれば、エネルギーの作成から消費までの全体で見れば、電力もガソリンも大差は無いし、場合によってはHVなどの方がクリーンというのが実際の姿です。
今後、EV車が増えて電力が不足し、それを賄うために安価な石炭火力発電に頼れば、都市の空気は見掛け上はきれいになっても、世界では温暖化被害がますます拡大なんてことにも...

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光合成と生態系2

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同化・「左⇒右」の反応と、異化・「右⇒左」の反応は、両辺の物質を見る限り、まったく逆の反応になっていて、かつ物質は循環しているといいましたが、実際は完全な循環にはなっていません。
同化を行うのに必要なエネルギーは、光合成を中心とした同化で作られた有機物の一部を異化することによって調達するのですから、「左⇒右」への反応のほうが、はるかに大きい訳です。
光合成生物すなわち植物は、環境から「二酸化炭素と水」を摂取して自らを作り、そして環境へ「酸素」を排出するという、見かけ上は「左から右への一方向的な過程」となります。

この過程が大々的に行われたのが、今から27億年前に登場した藍藻(シアノバクテリア)という藻類による光合成です。
藍藻は現在の植物とほぼ同等の、複雑で巧妙な光合成能力を持ち、地球上で支配的な生物となりました。そして長い年月の間に、地球の大気中の二酸化炭素を、ほとんど酸素に変えるという大業を成し遂げてしまったのです。今日の地球の大気の組成は、この藍藻の仕業といわれています。
地球上の食料(二酸化炭素)を食べ尽くし、廃棄物(酸素)で満たしてしまった訳ですから、最初の大規模な環境汚染ということにもなります。

ここで登場するのが、光合成生物を食料とする生物の登場です。
光合成を中心とする同化で作られた有機物を食して自らを作り、また有機物を分解してエネルギーを得る生物、すなわち動物です。
動物は同化の大部分を自らは行わず植物に委ね、出来上がった有機物を摂取して自らを作り、またそれを異化することによって活動エネルギーを得るということで、見かけ上は環境から「酸素」を取り入れ、有機物と反応させて、環境へ「二酸化炭素と水」を排出するという、「右から左への一方向的な過程」となります。

この両方の過程の大きさが、同じになれば「循環」が成立します。
光合成生物と、それを食する生物との間での、無機物質と有機物質の相互変換による循環です。
循環は「資源の枯渇」と「廃棄物による環境汚染」という、生物にとっての大問題を解決します。
資源を消費して廃棄物を放出する片方向的過程が、廃棄物を資源として利用し、そしてその廃棄物がまた資源になるという双方向的過程になり、生物は資源の枯渇と廃棄物の堆積という圧力から開放されます。生態系は循環を成立させることによって、安定と継続を得ることが出来たのです。

かくして循環する「生態系」が成立します。
生態系の「生態」は、サラリーマンの生態なんて意味で使われたりしますが、英語のEcologyでは、生物種間やそれを取り巻く環境との間の相互作用を扱う学、生態学のことです。
また「系」(System)という言葉には、物理学での閉鎖系、開放系といった、外界から独立した一定の空間を意味したり、また複雑系のように、相互に関係する要素から構成されるまとまりや仕組みを意味したりします。また日本ではビジュアル系とかオネエ系、はたまた草食系、肉食系とかいった、ある範囲やグループ分けの意味で使われたりもしますね...

生態系での「系」は、複雑系のように相互間の機能に着目します。
すなわち、「生態系」の概念は、「一定の地域の生物種間やそれを取り巻く環境との相互関係が(特に物質循環とエネルギーの流れに)、一定の仕組みと機能を持ったまとまり」ということになります。

近年、生態系という言葉自体は一般化しましたが、生態系に何か実体があるように捉えたり、或いは統一的生命体とかいった、感覚的、情緒的に捉える傾向があるようです。
生態系が危機にさらされている状況への警告、啓蒙的な意味が込められるのも悪くはないのですが、あらたまって生態系を考えた時、ハテナ?とならないように...

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生態系を表わした模式図です。少々ややこしい図ですが、これでも単純化されています。
光合成により有機物質を生産する植物などの「生産者」、植物を食料とする動物などの「消費者」、そして有機物質を最後に摂取する微生物などの「分解者」によって有機物質が、水と大気を媒介して、無機物質と相互に変換され、循環します。
図では有機物質の主な構成要素である炭素の循環を描いていますが、炭素の他に窒素やリンなどの物質も循環しています。これらの物質の循環は、分解者が無機物を生産者に渡すという矢印で示されていますが、実際は複雑で興味深い過程を経ています。

生態系の循環は、外部から物質を摂取したり、また外部に廃棄物を排出したりせずに、自己完結的に、「閉じた系」の中で物質がやり取りされます。
すなわち物質については「閉鎖系」ということになります。

また、エネルギーについては、宇宙から来たエネルギーは、光合成などの「同化」によって、化学エネルギーになり、そして「異化」によって、最終的には熱エネルギーとなって、宇宙に放出されます。
すなわちエネルギーに関しては「開放系」なのです。
エネルギーは循環することが出来ず、利用するにつれて、純度が減り、すなわちエントロピーが増大し、利用が出来なくなります。そしてその捨て場がないと、系は最後は「熱平衡」、すなわち熱死に至ります。宇宙に放射できる開放系が、エネルギー利用の必要条件なのです。

ということで生命と物質の循環は「閉鎖系」の中で、そしてエネルギーの流れは「開放系」で、地球生態系は成立しているのです。

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光合成と生態系1

19世紀のはじめ、植物学者が次のような事実を発見しました。
二酸化炭素 + 水 ⇒ 植物の成長 + 酸素
素晴らしい発見でしたが、オット何かが欠けているぞ!
ほどなく植物が「光エネルギーを化学エネルギーに変換している」ということが突き止められました。
これをまとめると、「植物が太陽光エネルギーを使って、二酸化炭素(CO2)と水(H2O)から有機化合物を合成する作用」で、光合成と名付けられました。今では小学校から習う大事な知識です。
化学反応式で表現すると、次のようになります。

6CO2 + 12H2O + 光エネルギー ⇒  C6H12O6+ 6O2 + 6H2O
反応式は反応前の化学物質(反応物)と反応後の化学物質(生成物)を記しているだけで、反応のプロセス自体を表してはいないので、もっと簡単には次のように表わせ、便宜的にこの式で記します。
6CO2 + 6H2O + 光エネルギー ⇒  6(CH2O) + 6O2

少しだけ詳しく見ると、光合成は大きく2つの反応に分けられます。
光エネルギーを化学エネルギーに変換する光化学反応(明反応)と、化学エネルギーから糖を合成するカルビン回路(暗反応)です。

光化学反応は葉緑体の中のクロロフィル(光合成色素)が光エネルギーを使って、水を酸素分子と水素イオンに分解し、また電子を作ります。そして電子と水素イオンによってNADPHとATPという有機物質をつくります。これらの反応は光エネルギーを使うので明反応です。
カルビン回路では、光化学反応で作られたNADPHとATPを利用して、二酸化炭素から種々の糖を作ります。ここでは光エネルギーを使わないので暗反応です。
ちょっと立ち入っただけで、何がなにやらですが、光合成の反応は、単なる化学反応の領域から、量子力学の世界に至る、複雑で精緻な過程なのです。

さて、植物は光合成で、食物を自給する一方、「呼吸」を行うことで、その食物から生命活動のエネルギーを得ています。その反応は次式です。
  6(CH2O) + 6O2 ⇒ 6CO2 + 6H2O + エネルギー
これは、光合成とまったく逆の反応です。これらの関係を図示すると...

kogose9c.gif

式の「左⇒右」は光合成によって、二酸化炭素と水から、グルコース(ブドウ糖)を作り、「右⇒左」はそのブドウ糖を二酸化炭素と水に分解して、エネルギーを得る過程です。
「左⇒右」と「右⇒左」の反応は、両辺の物質を見る限り、まったく逆の反応になります。
物質は循環し、そしてエネルギーは光から、化学エネルギーへ、そして熱エネルギーと変化して流れていきます。この図が生態系の物質循環とエネルギーの流れを、ごく単純に説明しています。 
(繰り返しますが、単純な化学反応式に見えるものの、実際は大変複雑な過程です。)

生物は自分自身を維持するために、材料とエネルギーを調達して、自らの体を構成する部品を作り出します。これを「代謝」と呼びます。代謝は生命活動そのものです。
代謝には大きく、「異化」と「同化」があります。
「異化」は複雑な有機物を、より単純な化合物に分解する過程から、エネルギーを引き出すことです。
「同化」は単純な物質から、より複雑な自身の体を構成する部品を作り出すことをいいいます。
同化を行うにはエネルギーが必要ですが、光エネルギーおよび、異化によって調達されたエネルギーを使います。

この図は同化の最初の過程(光合成)と、異化の最後の過程(酸素呼吸)を表しているわけです。
図に描かれていない反応式がずっと右へ続いて、グルコースから、アミノ酸が作られ、そのアミノ酸をつなげて複雑なタンパク質が作られていきます。
反対に右から左に、複雑なタンパク質が単純な化合物に分解されていく、という反応の流れが続くことになります。


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光と音はどう認識される?

太陽の光すなわち自然光は、人の目には「白色」に見えます。
しかし光をガラスで出来た三角柱のプリズムを通してみると、いろいろな色の帯が現れます。
「赤橙黄緑青藍紫」の帯、光のスペクトラム(連続体、分布範囲)です。
光は色によってその波長が違うため、プリズムを通るとき、波長に応じて異なる屈折率によって、光が分けられて7色の帯になるのです。
spectram2.jpg

図上はその光のスペクトラムで、図下はいわゆる「光の三原色」と、その三原色を混じり合わせた、いくつかの色を示しています。さらに三原色の配分や明度、彩度を変えて混合すれば、人が認識するすべての色を作り出せます。「RGBカラー」では、Red、Green、Blueのそれぞれ256通りの色調で、色や濃淡を連続した階調で表現することができます。256階調あれば、人の目は隣どうしの色や明暗が区別できず、滑らかなグラデーションになります。

光は図のように、およそ380~780nmの波長をもつ電磁波です。
では光の三原色で、すべての色を作ることができるということは、赤緑青の3つの電磁波で、すべての色に相当する電磁波を作るということなのでしょうか?でもスペクトラムに無い色は、どの波長の電磁波?というより、何でスペクトラムには、7色しかないの?

実は三原色は、人の目の視覚細胞と大きな関係があるのです。
視覚細胞には「赤、緑、青のそれぞれの光を感じ取る3つのセンサー」があって、それぞれのセンサーが受け取った光の量が脳細胞に伝達されて、3種がミックスされて、「色」として組み立てられるのです。つまり光の三原色とは、人の3色の視センサーが基準になっているのです。

スペクトラムの7色も、電磁波に7つの色があるのではなく、人の3色の視センサーがそれぞれ感じ取った電磁波を、脳がミックスして、7つの色に大別して認識しているということになるわけです。
例えば、黄色は580nm~595nmほどの波長の電磁波ですが、緑と赤の電磁波が混ざった光線でも、同じ黄色になって、両者を人の眼は区別できません。
また青色と赤色が混ざると、「ピンク色」という(それに相当する波長の電磁波は無い)色になります。
ピンク色とは脳内でミックスされた心理的なもので、桃色光線というものは存在しないのです。

色とは「脳が光を認識する手段」なのですね。色は「物理的な量」というよりも「心理的な量」ということができるのです。「光に色はない」ということを、最初にプリズムで光のスペクトラムの実験をした、かのアイザック・ニュートンが言っています。

次に音の場合はどうやって認識されるのかということです。
大抵は「空気の振動である音を、鼓膜が捉えて認識する」ということで済ましていますが、実際は遥かに複雑な仕組みなので、そこをちょっと...
鼓膜(中耳)の振動は増幅されて、蝸牛(かぎゅう)という器官(内耳)に送られ、蝸牛内にあるリンパ液を振動させます。そしてリンパ液に含まれるカリウムイオンが流れ、電流が発生します。
この電気信号が神経を通して脳に伝わり、音を認識するという仕組みです。
ということは、脳に伝えられた交流信号が、脳で振動しているということ? まさか! 
電気振動を色と同じように、心理的量に代えている訳ですが、考えてみるとこれも不思議です。

医療で、人工内耳というのがあって、聴覚障害に用いられますが、その仕組みがわかると、聴覚の理解の助けになります。
人工内耳は補聴器に似ていますが、補聴器は増幅した音(空気振動)を、そのまま鼓膜に送っているのに対して、人工内耳はマイクロフォンが捉えた音声を、音声分析装置で電気信号に変換し、そして蝸牛に埋め込んだ(インプラント)電極へ送り、電極が聴覚神経を刺激します。
蝸牛はその部位による周波数特異性をもっています。つまり反応する周波数が分かれています。
したがって蝸牛内の音域の割り当てに対応して、複数個の電極を埋め込みます。
そして音声分析装置の中のプロセッサーが、どの電極をどの程度刺激するかを決めます。

音声の周波数分析を時間的に連続して行い、強さ、周波数、時間 の三次元で表示することを、スペクトルグラム(Spectrogram)と呼びますが、これで見ると(特にあ行の母音では)、特定周波数に、はっきりとしたピークが得られます。この特徴的なピークが、音声毎に異なるために区別ができるわけです。その特徴を捉えて電気信号に変換する行程を、音声処理(コード化)法といいます。
スペクトルピークというコード化法では、音声スペクトルグラムを、そのまま電極での刺激の場所と強さに変換します。
下図はスペクトラムグラムの時間軸を省いて表示した図ですが、黒色の部分がピークにあたります。

peak1.jpg

人工内耳は蝸牛本来の信号は得られませんが、個人差はあるものの、一般的にかなりの程度で言葉を聞き取ることができるようになるといいます。
そしてこのような人工内耳の仕組みと同じことを、人の耳(特に内耳)が行っていると考えると、内耳は音声分析装置の機能を持っているということですね。

このようにして、蝸牛の各部位に送られた電流が聴神経と脳に伝えられて、音に相当する何らかの心理的量に変えられているのですが、この部分は色の認識と同様に、まだよく解明されていない、未知の領域なのです。
もとの空気振動を聴神経や脳によって、補完、補正や創造(想像)、フィルターなどなど様々な作業を行って、音として組み立てているのです。この音の認識(組み立て)は、色の認識と同じように高度でかつ、見方によっては、随分と大胆(アバウト?)な脳の作業なのです。

人工内耳と同じように、視覚障害のために、人工網膜というものがあります。
人の網膜には視細胞が縦横の格子状に並んでいますが、人工網膜はデジカメのように、受光素子が縦横に並んでいて、機能しなくなった視細胞の代わりを務めます。
受光素子は、マイクロチップ化されていて、眼の網膜に埋め込まれます。
そしてこれが光を電気信号に変え、信号は視神経に送られ、そこで「光」として認識されます。
現在の段階では、光の明暗が、「モノクロで縦横何ドット」というレベルで認識されますが、それでも大きな文字などは読めるようになります。電光掲示板のような具合ということです。
将来は画素数も広がり、また「色」も認識できるようになるのでしょう。


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鹿の子百合

kanoko.jpg

鹿の背中の斑点模様を「鹿(か)の子まだら」、略して鹿の子といいます。
昔から、この斑点模様が付いたものを、「・・鹿の子」と呼んできました。
在原業平の「時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらん」という歌があります。

布の染めを「鹿の子しぼり」といったり、また植物の「京鹿の子」は、ごく小さな花を密集させて咲く形が、鹿の子模様に見立てられたのでしょう。
和菓子の「京鹿の子」は、餅のまわりを、蜜で鹿の子模様に仕上げた豆で囲んだ菓子です。

でも信州小布施の有名な菓子、「栗鹿の子」は大粒の栗の実に栗あんを練り合わせて作った、きんとんとほぼ同じもので、鹿の子模様はないのですが、栗鹿の子と呼んでいます。

画像の「鹿の子百合」は、花弁に鹿の子模様の斑点があることから、そう呼ばれます。
日本原産のユリで、かのシーボルトによってヨーロッパに持ち込まれ、交配種が作られました。
花はやや下向きに、また大きく反り返って咲きます。
色は濃い紅色からピンク色をしていますが、画像のユリは変種の園芸種です。
花弁も斑点も真っ白の鹿の子百合です。

進化と進歩はどう違う?

「進歩」という言葉の代わりに、「進化」が使われるのが普通になっているようです。
「進化」には「進歩」の意味を持つと同時に、環境や時代に適応したというような価値判断があるからでしょうか。より高度に、複雑に、なんていうことまで含意しているような?
でも本来、「進化」は生物学で使われる用語で、「変化」の意味であって、「進む」というような方向性はありません。英語evolutionを日本語に翻訳するときに、進化という語が作られて、「進む」という意味合いを持ってしまったのですね。
英語では進歩はprogressとかadvance、進化はevolutionで、紛らわしくはありません。

ところが、evolutionは生物学の用語であると同時に、日常語としても、展開、発展、進展、といった意味で使われています。
また生物学用語としても変化していて、初めは生物学の一部門である発生学で、evolutionは 「受精卵から展開して成体が作られること」を意味しています。
発生学とは「胚の発生を研究する学問」です。「胚」とは動物では誕生や孵化の前の段階をいい、植物では発芽の段階にある全ての組織のことです。

さらにその後、生物学では個体の発生と生物の進化との類似性が注目され、「進化はある一定の方向に発展する」と考えられました。
それを表すのに適切な語として、evolution を使うようになったのです。つまり当初(ダーウィン以前)の進化論では、evolutionは発展という意味を持っていたのです。

しかしダーウィンは著書「種の起原」では、初版ではevolution という語は使っていませんでした。
進化を指す言葉としては、「descent with modification(変化を伴なう系統)」を使ったのです。
ダーウィンは自己の進化論が、発展理論に基づく以前の進化論と異なることを明確にするために、evolution の語を使わなかったのです。後になって結局使ったのですが...
ダーウィンは、進化の要因として「個体変異の遺伝と自然淘汰」を考え、生物の進化は偶然が作用する現象と考えました。彼は生物の進化が、「単純な生物から複雑な生物へと変化するという方向性」を持っているとは考えなかったのです。つまり、ダーウィンによれば、evolution は生物の進化を指す用語としては(少なくとも初めは)、適切ではなかったといえます。

ということで、もともと evolutionが進歩、発展といった方向性を持つ意味を含んでいたわけで、日本でこの語を訳するに当たって、進化という言葉を作ったのは、あながち間違いではなかったのかもしれないし、今日に至って進歩に取って代わったのも、必然の成り行きなのかもしれません。
英米でevolution が progress とかadvance に代わって使われることが多くなっているのか、興味あるところです。

とはいっても生物学では、進化を進歩と同一視するのは、やはりまずいのです。
生物進化が進歩に見えたとしても、また逆に退歩に見えたとしても、どちらにせよダーウィンから始まって、現代の進化学説にi至るまで、何らかの方向性を持ってはいないのです。
でも進化の語が全く日常語になってしまった以上は、進化を使うのはやめて、例えば変成とか変異とかいった言葉を使ったほうが良いのかも知れません。あ、これらは生物学ですでに使われています。ダーウィンが当初使った「descent with modification(変化を伴なう系統)」に戻る?

付け足しになっちゃいましたが、進化とは、ごく簡単にいって「生物が世代を経る中で、その遺伝的形質が変化していく現象」というようなことです。
そして「変異や自然適応、種の分化といった進化のメカニズムによって、ヒトも含めた地球上のすべての生物が生まれてきたことを説明する諸理論の集合」が、現在の進化論、もしくは進化学説です。

遺伝子と分子生物学 ⇒ http://kurotsugumi.blog.so-net.ne.jp/2014-03-14

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AIで経済を解明できる?

「グローバリゼーションがもたらす自由貿易は良いこと」の経済学的根拠となっているのは一つは、リカードという昔の経済学者が唱えた「比較優位」説です。
2つの国A、B国が、それぞれ1、2の2種の製品を生産していたとします。
A国では2より1の生産が効率的で、B国では1より2の生産が効率的であった場合、たとえA国が1、2のどちらも、B国より効率的であったとしても、A国は1の生産に特化し、B国では2の生産に特化し、それぞれを貿易により交換したほうが、両方の国ともに多くの製品を生産できるという、まさしく自由貿易のバイブルのような数学計算です。
経済理論の中でも、特にシンプルかつエレガント?な理論で、かつそのもたらすところが、互恵的で、WIN-WINであるため、今日に至るまで経済学者のお気に入りなものでもあります。
でもまあ、こんな机上の計算でのたとえ話みたいな説に、そんなにうまく行く話はないぞ、と疑うのが客観的で科学的な態度ではないかと思います。

ではもう一つ、「完全競争市場では消費者にとっての効用と供給者にとっての利益が最大になるような価格・量で均衡する」という均衡理論に基づいて、「自由競争市場の拡大は良いこと」という理屈はどうでしょうか。
このいわゆる均衡理論は、経済学を学ばなくとも、どこかで見たことがある人も多いかもしれない「需給曲線」てやつで簡単に表せます。
横軸が価格、縦軸が数量のグラフに需要の性向と、供給の性向をプロットすると、需要曲線が右肩下がり、供給曲線が右肩上がりになって、両者が交差する点が、需給が一致してかつ適切な資源配分がなされるというやつですね。
でもこれもぶっちゃけ、比較優位説と同じようなたとえ話の類、といっては怒られるだろうけど...
余談ですが、こんな図程度でお茶を濁しとけば?良かったのに、もう少し客観性をつけたい、数学的に正しさを深めたいなんて考えて、物理学者や数学者が精緻で難解な数学にまとめ上げて、常人には理解不能の不動の理論を築き上げてしまったのが現代の経済学というわけです。

実際のところ、自由競争もグローバリゼーションも果たして良い事か、うまく機能しているのか、五里霧中で、単にそう思い込んでいるだけかもしれないのです。
とはいっても、そんな中で経済社会では日々、経済状況を分析し、評価し、予測して活動が行われています。そして経済活動はすべてが「量」とその増減の「率」に還元され得るので、その数値や指標のデータは山ほどあります。
しかしそのすべてを人間が把握し理解し分析することは不可能ですから、必要と思われ、かつ信頼できそうなデータを選択して、それに過去の経験や勘による調整を加えて分析をまとめ上げる訳です。従って取り扱うデータが少なすぎたり、間違ったり、偏り、あるいは予断など、結論を誤らせる理由には事欠きません。

ということで「AI」、人工知能の登場です。最近の急速に進歩した「AI]は、これらのビッグデータ、過去にさかのぼって蓄積された膨大なデータの解析にはうってつけです。複雑な経済活動に、今まで考えられなかった関係性や法則性を見つけられるかも知れません。
また逆に明らかな相関関係があるように見えても、「AI]に学習させてみたら、この相関は擬似相関、つまり「関係のない2つの事柄に、あたかも因果関係があるように見える」だけであって、実は無関係、あるいは隠れた変数があって、この変数によって動いていたなんて 人間には思いもつかなかった発見があるやも知れません。
経済現象には「隔靴掻痒」(靴の上から足のかゆいところを掻く)といいたい説明が山ほどあるので、対象には事欠きません。

因みに株式の取引には、すでに「AI」が導入されているといわれます。しかし自動取引や超高速取引が、果たして「AI」に値するのかどうかは甚だ疑問です。とくに超高速取引なんて、コンピューターの計算の速さだけを生かした、いつ禁止されてもおかしくない、アブナイ使い方です。
株式取引をはじめとした金融市場は、コンピューターの活用が最もなされている分野ですが、「AI]については??でしょう。
また鉱工業生産指数のような経済指標の予測にも、「AI]が使われ出していますが、限定的な統計予測にとどまり、経済活動そのもの解析はこれからという状態です。

「AI]が本領を発揮して、複雑怪奇な?経済活動についての学習と解析が可能になり、グローバリゼーションや自由貿易が、実際にどういう結果をもたらしているかを解析することが出来たら、思わぬ結論を見出すかも知れないのです。もしかすると、アダムスミスの「見えなざる手」が、ついに見えたなんて...

樹木の水の吸い上げ

今年は梅雨入りがはっきりしないで、あまり雨も降らずに暑い日が続き、草花や菜園の作物どころか、木々までげんなりしていました。これは全体に水遣りをしなければと思っていた矢先に大雨が降って、そのあとも雨模様で、まるで今が梅雨かと見紛う日々です。

ところで植物、特に高い樹木の「水を吸い上げる仕組み」はどうなっているのでしょうか。
大気圧による水の上昇は10mが限度ですが、10mを超える木は、ざらというより普通の存在ですから、他の力によって吸い上げられているのですね。
まず水の吸い上げの始まりは「根」です。地中の水分を根が「浸透圧」によって内部に運び、そして上に押し上げます。これを「根圧」といいます。
吸い上げた水の出口は「葉」です。葉から大気中に水が蒸散すると、葉内部の細胞液の濃度が上昇し、細胞外部との間に「浸透圧」が生じ、水を吸い上げようとします。これは「蒸散力」です。

根と葉の間が幹(と枝)です。幹の内部は無数の細い細い導管が、幹の下から上まで通っています。導管内の水は「水素結合」という強い結合力によって、1本の糸のようにつながっています。
葉の蒸散力が、この水の糸を引っ張り、根の根圧が水を押し上げ、水が吸い上げられるのです。
蒸散力と根圧と水素結合によって、100mを超える樹木でも、水を吸い上げてしまいます。

ところで樹木を伐るのは、葉が落ち、そして水分が根まで下がって重さが減った冬に伐るのが一般的です。伐採がちょっと遅れて、春先に伐ると思わぬことが起きます。
杉をチェーンソーで伐ったときは、飛び散る木屑と共に樹液が、まるで血のように飛び散り、たじろぎました。また白樺を伐ったときは、切り株からどんどんと樹液があふれ出て、これまたびっくりでした。

針葉樹の杉は、蒸散力と根圧と水素結合とによって、活発に水を吸い上げる状態だったということ、また落葉樹の白樺は、まだ葉が出ていない状態なので、蒸散力が働いたとは考え難く、根圧だけによって樹液があふれ出たということなのでしょうか。恐るべし、植物の力です。

いづれがアヤメかカキツバタ

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「いずれがアヤメかカキツバタ」といって、秀でたもの二者の、甲乙付けがたいことを意味しますが、実はここに、ハナショウブが加わります。いずれもアヤメ科アヤメ属の花たちの三つ巴?です。
ただでさえ、見分けがつかないのに、さらにややこしいのは、漢字で書くと、カキツバタは「杜若」、アヤメは「菖蒲」、そしてハナショウブは「花菖蒲」となります。
杜若(とじゃく)と、菖蒲(しょうぶ)というまったく別の植物の漢字を誤用してしまったのですね。
ですから漢字は使わず、かなで書くのが間違いないのです。

で、簡単な見分け方は、花の基の部分が白い三角のがカキツバタ、黄色い三角のがハナショウブ、綾目模様がアヤメです。
もう一つ、水の中で咲くのがカキツバタ、乾いた地面を好むのがアヤメで、その中間がハナショウブです。上の画像で左から順に、カキツバタ、ハナショウブ、アヤメです。
どの花も好きですが、あえて言えばハナショウブです。
カキツバタは紫と白のコントラストが「凛々し過ぎ」、またあやめは綾目模様が「うるさい」、ハナショウブの紫と黄色の組み合わせが「ちょっと色っぽい」と勝手に思っています。

伊勢物語に在原業平が、カキツバタを句の頭に読み込んだ歌があります。
 ら衣 つつなれにし ましあれば るばる来ぬる びをしぞ思ふ


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